十字架上の七つの言葉 Ⅴ

 「渇く」    ヨハネによる福音書 19章28節

 五つ目の言葉。主イエスが、十字架の上で死を迎える前に語られた言葉。人が死を迎える時、単に肉体的にのどが渇いたと言われたのではありません。聖書では、この言葉に続けて、「こうして、聖書の言葉が実現した。」と書かれています。
 「聖書の言葉が実現」するとはどういうことでしょうか。それは、旧約聖書全体を通して、私たちを罪から救うために働かれてきた神さまのご計画が主イエスの十字架の出来事を通して、完成したということです。

 主イエスが、十字架に架けられ、肉体的な苦しみを受けられたということ。これは、この世の始めから、救い主がこの手順を踏まなければ救いが完成されないと、こと細かく決まっていたということではありません。主イエスは、十字架の上で死を迎える最後まで、父なる神さまの御意志に従順に従われたということです。
 そして、死を迎える者が渇きを覚えるのは、肉体的なのどの渇きだけではありません。主はこの場面で、呼んでも、叫んでも、応えてくださらない神さまとの断絶。神さまがあたかもおられないかのような状況に、霊の渇きを覚えられたのです。
 私たちが、人生の中で、つらく苦しい時、神さまを求めても、何も与えられないかのように思えるつらさ、苦しさ。それらのものすべてを主イエスは十字架の上で負われたので、「渇く」という言葉を言われたのです。
 
 主イエスの言葉は、そのまますべての人が、神さまを求めて「渇く」と叫ぶ言葉を代弁したものでした。主イエスのこの苦しみがあるがゆえに、私たちは、どれほどつらく、苦しい中にあっても、主イエスによって救われる希望を失うことはないのです。

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