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今週のみ言葉「証し人として用いられる」

「主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」               ホセア書 6章3節

 「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」                    ルカによる福音書 24章47節

 日本とイスラエルでは気候が違い、イスラエルは冬に雨が多く、春から夏にかけては雨がほとんど降らない気候です。しかし、イスラエルの春雨は3,4月ごろに降って穀物の実りを豊かにする雨ですから、祝福の雨とされています。

 弟子たちの前に現れた復活の主イエスは、神さまが約束された救いの計画が、主イエスによってもたらされたことをはっきりと示す出来事でした。その出来事を通して弟子たちは、罪の赦しを世界中に宣べ伝える証し人として用いられることになります。

 今を生きる私たちも、神さまから信仰をいただくことで、救い主イエス・キリストを信じ、一人ひとりが主イエスの証し人として立てられています。「証しする」というと、難しく聞こえますが、イエスさまを他の人に紹介するということが、「証しする」ということです。日本で毎週教会の礼拝に集う人数は、仏教の僧侶の数よりも少ないと言われていますので、主イエスを本当に知らない人が、まだまだ沢山おられるということです。  わたしたちは、イエスさまから託され、命令を受けて、イエスさまを紹介する者として、この世に立てられています。自分が良く知っている人をまだ知らない人に紹介する言葉が、いろいろあるように、主イエスを見知らぬに人に紹介する方法はいろいろあります。それぞれ置かれている場所で、ご自分の言葉で、ご自分の生き方そのものを通して、主イエスを照会する者として、神さまに用いていただきたいと願います。

今週のみ言葉「証しをするということ」

「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。」           エゼキエル書 36章26節

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」
             ヨハネによる福音書 15章26節

 教会で、「証しをしてもらえませんか」と聞かれることがあります。すると、「いえいえ、私などとてもまだ、証しなどすることができません。」と言われる方がおられます。
 それでは「証し」は、いつ、どんな時であればすることができるでしょうか?

 「証し」とは、主イエス・キリストが、「この私」に働いてくださった、働いておられることを自分の言葉で伝えることです。話すことが得意な人もいれば、そうでない人もおられるでしょう。けれども、洗礼を受けてクリスチャンとなった方は、すべて、主イエスが聖霊によって働いてくださったので、クリスチャンとなったのです。使徒パウロが、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(コリント一 12:3)と言っているように、洗礼を受けた方はすでに御自身の生き方を通して、イエスさまが与えてくださった愛を、福音を伝える生き方をされています。  「証し」をお願いされたら、ぜひ、ご自身が生活の中でイエスさまを感じた時のことをお話しください。お一人おひとりとのイエスさまとの出会い方、感じ方はには違いがありますから、その体験を話してくださることで、わたしたちは、互いに主の恵みを分かち合い、証ししあうことができます。その時に、イエスさまはわたしたちに、聖霊を送ってくださり、語る言葉を与えてくださるのです。主に祈り求めることで、このすばらしい恵みをいただこうではありませんか。