「今週のみ言葉」カテゴリーアーカイブ

今週のみ言葉「まことの恵みを知る」

「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」      詩編 46編章2節

「あなたは、巻物を受け取り、 その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、 あらゆる種族と言葉の違う民、 あらゆる民族と国民の中から、 御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、 また、祭司となさったからです。」           ヨハネの黙示録 5章9、10節

 詩編46編2節の言葉は、力に満ち、恵みにあふれた言葉です。私たちを愛してくださる神さまが、どんな時でも助けてくださるなら、これほど強く信頼できる方はありません。そして、そのことが真実として、示されたのは、主イエスが十字架に架けられ死の後復活し、天に昇って栄光を受けられたからです。今年は、5月24日を主イエスの昇天日として覚えて、礼拝を守っています。

 主イエスが死の後復活されただけであれば、肉体が蘇生しただけだ、と考える人がいるかもしれません。しかし、その後天に挙げられ栄光を受けられた。そして、わたしたちに聖霊を送ってくださるので、わたしたちは神さまからいただく恵みが、真実であると悟ることができるのです。  聖書の言葉は、語られた時から、今に至るまで、そしてこれからも永遠になくなることはありません。いつの時代も私たちを慰め、励まし、力を与えてくれます。この恵みが、神さまからすべての人に向けて与えられていること。そして、その恵みにお応えする私たちにとって、まことの恵みとして実現していることに、感謝して歩みつづけたいと願います。

今週のみ言葉「証し人として用いられる」

「主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」               ホセア書 6章3節

 「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」                    ルカによる福音書 24章47節

 日本とイスラエルでは気候が違い、イスラエルは冬に雨が多く、春から夏にかけては雨がほとんど降らない気候です。しかし、イスラエルの春雨は3,4月ごろに降って穀物の実りを豊かにする雨ですから、祝福の雨とされています。

 弟子たちの前に現れた復活の主イエスは、神さまが約束された救いの計画が、主イエスによってもたらされたことをはっきりと示す出来事でした。その出来事を通して弟子たちは、罪の赦しを世界中に宣べ伝える証し人として用いられることになります。

 今を生きる私たちも、神さまから信仰をいただくことで、救い主イエス・キリストを信じ、一人ひとりが主イエスの証し人として立てられています。「証しする」というと、難しく聞こえますが、イエスさまを他の人に紹介するということが、「証しする」ということです。日本で毎週教会の礼拝に集う人数は、仏教の僧侶の数よりも少ないと言われていますので、主イエスを本当に知らない人が、まだまだ沢山おられるということです。  わたしたちは、イエスさまから託され、命令を受けて、イエスさまを紹介する者として、この世に立てられています。自分が良く知っている人をまだ知らない人に紹介する言葉が、いろいろあるように、主イエスを見知らぬに人に紹介する方法はいろいろあります。それぞれ置かれている場所で、ご自分の言葉で、ご自分の生き方そのものを通して、主イエスを照会する者として、神さまに用いていただきたいと願います。

今週のみ言葉「証しをするということ」

「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。」           エゼキエル書 36章26節

「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」
             ヨハネによる福音書 15章26節

 教会で、「証しをしてもらえませんか」と聞かれることがあります。すると、「いえいえ、私などとてもまだ、証しなどすることができません。」と言われる方がおられます。
 それでは「証し」は、いつ、どんな時であればすることができるでしょうか?

 「証し」とは、主イエス・キリストが、「この私」に働いてくださった、働いておられることを自分の言葉で伝えることです。話すことが得意な人もいれば、そうでない人もおられるでしょう。けれども、洗礼を受けてクリスチャンとなった方は、すべて、主イエスが聖霊によって働いてくださったので、クリスチャンとなったのです。使徒パウロが、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(コリント一 12:3)と言っているように、洗礼を受けた方はすでに御自身の生き方を通して、イエスさまが与えてくださった愛を、福音を伝える生き方をされています。  「証し」をお願いされたら、ぜひ、ご自身が生活の中でイエスさまを感じた時のことをお話しください。お一人おひとりとのイエスさまとの出会い方、感じ方はには違いがありますから、その体験を話してくださることで、わたしたちは、互いに主の恵みを分かち合い、証ししあうことができます。その時に、イエスさまはわたしたちに、聖霊を送ってくださり、語る言葉を与えてくださるのです。主に祈り求めることで、このすばらしい恵みをいただこうではありませんか。

今週のみ言葉「私たちを照らすもの」

「あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり あなたの神の御手の中で王冠となる。」         イザヤ書 62章3節

「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」
              ルカによる福音書 24章32節

 「心が燃える」時とは、どんな時でしょうか? 人は、恋をすると胸が苦しくなることがあります。それは、相手を思う心、愛する心が芽生えるからではないでしょうか。
 神さまは、モーセに十戒を与えるとき、御自身は「熱情の神」であると言われました。私たち人間を愛する熱い思いを持っておられるということです。
 そして、神さまの栄光は、光にたとえられています。光は明るく、また、熱いものです。神さまの栄光を現す光は、暗闇を照らし、暗いものを押し出し、悪を退けます。主の正しさが、この世に大きな力として示されます。

 主イエスの復活の出来事は、まさしく、主なる神さまの正義が、栄光がこの世に光として指し示された出来事でした。この光は、14世紀にヨーロッパでペストが大流行したときも、今、新型コロナウイルスが広がっているときも、決してその明かりが消えることはありません。
 暗闇の中を歩くとき、光が導き手となるように、わたしたちは、神さまから与えられている、光によって。主イエス・キリストの復活の光に照らされたて、このとても不安な状況の中にあっても、日々一歩ずつ、主のみ言葉を生命の糧として、歩みつづけたいと思います。

今週のみ言葉「主の声が響く」

「わたしは勝利を告げ 大いなる救いをもたらすもの。」 
                   イザヤ書 63章1節 
「子たちよ、何か食べる物があるか」
              ヨハネによる福音書 21章5節
  
 舟の上で漁をしていたペトロたち。陸におられたイエスさまから声を掛けられました。初めは声を掛けた人がイエスさまだとは気が付かず、声を掛けられたように自分たちの仕事の続きとして網を湖に打ちました。ところが、弟子の一人から、あの人は「主だ」という言葉を聞いた途端、ペトロに掛けられていた言葉がイエスさまの言葉として心に響いてきました。すると、ペトロは自分が主イエスの裁判の夜、三度もイエスさまを知らないと言ったことを思い出し、ハッとして、あわてて上着を着て湖の中に飛び込んでしまいました。
 ペトロの行動は、気が短くおっちょこちょいの性格を表しているようですが、エデンの園で主が近づいてこられたとき、身を隠してしまったアダムとエバの様子と重なります。主の声が響くとき、わたしたちは、自分がどういう者であるかを知らされ、主を畏れる自分に気が付きます。
 会堂でも、家庭でも、礼拝を守るときはいつも、主からの呼びかけがあり、それにお応えする私たちがいなければなりません。礼拝のプログラムはそのように整えられています。 礼拝は、まず、心を静めて神さまからの呼びかけを聞くことから始まります。そして、それに応える形で、讃美歌があり、祈りがあります。また、聖書の言葉、説教の言葉を通して主が語ってくださいます。主の語りかけがペトロの心に届いたように、わたしたちの心にも響いてくるように、祈りつつ礼拝をお献げいたしましょう。
 そして、今週も主の招きと導きに従って歩む一週間でありたいと願います。

2020-04-19 今週のみ言葉

「主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。」               出エジプト記 15章2節
 「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」    ヨハネによる福音書 20章31節
 
 旧約聖書と、新約聖書。どちらにも共通して書かれている主題は何でしょうか? それは、この世界を創られた「神さまによる救い」です。神さまは、この世界を「よい」ものとして創られたと、創世記1章に書かれています。その世界で、神さまが特別に愛し、また、愛された者が神さまを礼拝するように創られました。しかし、人間は罪を犯し、罪の結果としての、死を迎えることになりました。
 神さまはそのことをとても憐れまれました。自らの力では罪の奴隷から抜け出すことのできない人間を、神さまの手によって救われようとされました。旧約では、奴隷生活を送っていたエジプトから、約束の地、カナンへの脱出。また、バビロニアからの解放と、約束の地への帰還。この出来事を通して、神さまはイスラエルの人々に、神さまの救いを告げ知らせました。
 けれども、人間は弱く、繰り返し罪を犯し続けましたので、神の子主イエス・キリストをこの世へと送られました。その方の命によってわたしたちの罪を赦し、神さまのところへ呼び戻すことを実行されたのです。
 聖書の文字を書いたのは、私たち人間ですが、「十戒」の言葉が、神さまから与えられた言葉であるように、聖書全体の原作者はこの世界を創られた神さまです。原作者がお一人であるから、聖書の言葉に含まれる神さまの愛、救いの計画と実現は、一貫しています。
 どのような時代にあっても、神さまの愛と救いが変わることがないことを覚えて、新しい一週間を歩んでまいりましょう。

2020-04-05 今週のみ言葉

 「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。」   
              申命記 32章46節~47節 
 「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」
              ルカによる福音書 22章26節
 
 イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセと、弟子たちを通して福音の言葉を語られたイエスさま。どちらも、この世での死を迎える前に、残される人々に向けて言葉を残しました。一人の人が、人生の最後に残す言葉は、どのような言葉であっても、人々の心に残る言葉が多くあります。そして、モーセはイスラエルの民をエジプトで奴隷であった状態から救い出したリーダーとして、イエスさまはすべての人を救うメシアとして残された言葉。
 それは、どちらも、その言葉を聞いて従う人々を、命へと導く言葉でした。律法とイエスさまの教え。どちらも、自分の力だけで、生涯やり続けようとしても、続けることができないほどきびしく、正しい教えです。しかし、その言葉を守るべき教えと捉えるだけでなく、教えを守ることができない自分があり、その自分を赦してくださる神さまがおられることに気が付くことが大切です。そして、気が付くだけでなく、その教えに従って歩むことができるように、願い、祈り続けること。それが、神さまからわたしたちに求められていることだと言えるでしょう。
 神さまの愛に触れて、そのことに気が付く者でありたいと願います。

2020-03-29 今週のみ言葉

「そして主は彼らの救い主となられた。彼らの苦難を常に御自分の苦難とし 御前に仕える御使いによって彼らを救い 愛と憐れみをもって彼らを贖い 昔から常に 彼らを負い、彼らを担ってくださった。」            イザヤ書 63章8節b~9節 

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
             ヨハネによる福音書 12章24節 


 ヨハネによる福音書12章24節の言葉は、イエスさまが十字架に架けられるご自分を麦の種にたとえて話された、有名な聖句です。
 この言葉は、過ぎ越しの祭の時に礼拝するためにエルサレムに上ってきた何人かのギリシア人がイエスさまにお目にかかりたいと頼んだ時、それを取り次いだ弟子のアンデレとフィリポに向けて話されました。
 主イエスの言葉は、直接弟子だけに語られているようにも思えますが、エルサレムに来たギリシア人とは、ギリシア人であっても、ユダヤ教を信じていた人々でした。つまり、この世界を創られたまことの神さまを礼拝する人々です。
 その人々に向けても、この言葉が語られたということは、主イエスの十字架の死は、ギリシア人であっても、主なる神さまを信じる人のために、神さまがその独り子を献げてくださるということ。そして、それに続けて語られていることは、主を信じるすべての人に向けて語られた言葉でした。

 「この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。」「わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
 十字架での受難を目前に、主イエスはわたしたちに、これから起きる出来事の意味を語ってくださったのです。この言葉に、すべての人に向けた救いが告げられています。

2020-03-22  今週のみ言葉

「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」              サムエル記上 10章1節 

「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」
             ヨハネによる福音書 12章7節 

 主なる神さまからの恵み。それは、罪のために死すべき運命にあった私たち人間に、神さまからの愛として。また、神さまご自身がアブラハムを通して与えた契約に誠実であって、決して神さまの方から破ることのない契約として与えられたものです。それは、単に私たちがこの世で幸せであるように、ということだけでなく、死から生へ。主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して与えられた、まことの命につながる恵みでした。
 その恵みを受けて、私たちは、この世において、また、後の世においていつまでも主が共にいてくださる恵みの中で生きることができる、という約束です。イエスさまは、これからご自分が十字架で死を迎えることを知られた上で、マリアから尊敬を表すために注がれた香油を、自分が葬られるために注がれた油だと話されました。
 この世界が神さまによって作られたにもかかわらず、自らの勝手な思いで、神さまのみ手の外に出てしまった人間です。しかし、神さまはどこまでもひたむきに、私たちを愛し、神さまのみ手の中に留めるために、イエスさまを十字架に架けられ復活させられました。その出来事は、神さまのみ手の業であり、決定的にただ一度限り。わたしたちの生死を支配している神さまのみ怒りから、み恵みへと変えられる出来事でした。

2020-03-15 今週のみ言葉

 「諸国の民から自由な人々が集められ アブラハムの神の民となる。」           詩編 47編10節

 「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」
     エフェソの信徒への手紙 1章23節

 教会とは何でしょうか? 新約聖書に書かれている「教会」という日本語は、ギリシア語では「エクレーシア」と言い、「エクレーシア」には、元々呼び集められた人という意味があります。
 旧約には、教会という言葉がありません。しかし、「神の民」という言葉があります。「神の民」とは、神さまがこの世の中から選び出して、主なる神さまを信じるようにと、集められた人々のことです。
 唯一の神さまだけを信じるという点では、「教会」も「神の民」も同じです。しかし、「教会」は、すでにこの世に来てくださった救い主。神の子キリストを頭として、互いに結ばれているという点が違っています。

 神さまが選ばれた人に違う点があっても、信じる人がすべてキリストにつながり、同時にお互いがつながっている。そして、互いに足りない部分を補い合う。そこに神さまの愛が示されています。

 「主にあってひとつ」という言葉こそ、「教会」を表す言葉ですし、パウロが言うように、神さまを信じる人々が集まるところに、主の霊が、聖霊が満ちているのが「教会」なのです。