「王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が あなたを選ばれたのを見て。」 イザヤ書 49章7節
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」
マタイによる福音書 2章11節
イザヤ書にある「君候」と訳されている言葉は、日本語では江戸時代の大名のことを指しています。普段は人々に仕えられる人が、神さまが選んだ人を見て「ひれ伏す」。この言葉には、「礼拝する」という意味が含まれています。
わたしたちは神さまから遣わされた御子。救い主イエスさまを前にした時、礼拝せざるを得なくなります。なぜなら、そのようにすることが、まことに「権威」ある方に対する挨拶であると同時に、その方から与えられた恵みにお応えできる方法だからです。
この世で「権力」と呼ばれる力になるお金、地位、武力は他人から奪うことができます。しかし、生まれながら備わっている「権威」を奪うことはできません。天皇家のように、その生れと世襲で「権威」を譲渡される人はいますが、神さまの「権威」は永遠です。わたしたちが毎週教会で礼拝を捧げる時、わたしたちのただ中におられるイエスさまに、神さまの権威にひれ伏して礼拝を捧げます。
東方から来た占星術の学者たちは眠る幼な子に「権威」を認めて、礼拝し、持参した宝物を捧げました。わたしたちも、救い主イエスさまの前にひれ伏して礼拝し、自らを生きた供え物として捧げたいと思います。