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十字架上の七つの言葉 Ⅰ

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 ルカによる福音書 23章34節

 主イエスは、十字架の上で7つの言葉を語られたと福音書は伝えています。受難週、受難日に向けてこれらのみ言葉を味わいたいと思います。

 最初の言葉は、十字架につけられたイエスさまに対し、十字架を見上げてただ立ちつづけている者、十字架の下を通り、侮蔑の言葉を上げる者。十字架の下でイエスさまの服をクジで分け合う兵士たち。これらの様子の中で語られた言葉です。
 この言葉は、今イエスさまが見ている人々だけに向けられた言葉ではありません。その当時の人々だけでなく、すべての時代のすべての人に向けて語られた言葉です。

 その言葉に込められた意味は、人の罪はどれほど重く、また、その意味を知らない人がどれほど多くいることか、と主イエスは嘆いておられるのです。
 けれども、嘆かれているだけではありません。イエスさまは大祭司としての役目を担っていると言われますが、大祭司として、すべての人の罪を赦すために、ご自身の血を流して、神さまにとりなしの祈りを献げているのです。

 そのことにより、私たちの罪が赦されるのです。私たちは、祈りの最後に、イエスさまのお名前によって祈りますと、言います。これは、十字架の上で血を流し、私たちの罪を取り成してくださった方の名によって、神さまに祈らせていただいています、ということなのです。

差し出された手に触れればいいのです

 「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」ルカによる福音書 19章10節

 この言葉は、イエスさまが、ユダヤ人社会の中で、罪人(つみびと)として周囲の人から見られ、社会の中での付き合いも同業者以外からは断られていた徴税人ザアカイに関する物語の最後で語られた言葉です。
ザアカイは、当時のユダヤがローマと異邦人ヘロデ王の二重支配の中で、重税をかけられ、その税金を取り立てる仕事をしていたため、人々から恨まれていました。
けれども、そのザアカイが住む町をイエスさまが通られたとき、背が低かったザアカイが、イエスさまに対する高い関心から、木の上からイエスさまのことを見ようとしたのです。木の上にいるザアカイをイエスさまがご覧になって、降りてくるように声をかけられ、今日、ザアカイの家で食事をして泊まりたいと言われました。
 このことは、ザアカイにとって非常な驚きでした。なぜなら、他のユダヤ教の指導者たちは、自分を目の敵にして、全く相手にしていなかったからです。ところが、イエスさまは、自分を避けるどころか、イエスさまの方から近づいてこられ、親しい人どうしでないとしない、会食を共にしてくださったのです。このことから、ザアカイは、自分が罪人であっても、神さまの方から近づいてくださり、救いをもたらしてくださることを理解したのです。
 私たちは、神さまを信じる、信じないと言って、自分自身に神さまを選ぶ権利があるように思いがちですが、実はそうではありません。まことの神さまは、神さまの方から私たちの方に近づいてこられ、手を差し伸べていてくだいます。

 私たちは、その手に触れる、ちょっとした勇気さえあれば、救いにあずかることができるのです。

 この話しについて、興味をもたれた方、もっと詳しく知りたいと思われた方は、ぜひ、宇都宮東教会へお越しください。あなたが来てくださることを、心からお待ちいたしております。